あおくれ

ここが俺のチラシの裏

永遠の少女とBLについて

 

このツイートの弁明をしなければならない気がした。

と言う訳で取りとめも無くグダグダとBLの話をします。

 

もともと、格好良い女二人の百合が、おっぱい付いたイケメンのBLじゃんって言われるの滅茶苦茶何とも言えない気持ちになりながら眺めていたんですよね、百合で良いじゃん。

数年前? 位に特集されてたネコ×ネコのBLを百合BLって言ってるやつ、あれも当時滅茶苦茶ちゃぶ台ひっくり返してたんですよね。

 

うーわー笑っちゃう位の特大ブーメランだね!!!!

と言う訳で年始位にアニメ見返して以来、ここのとこずっと色々考えてるBLというか百合についてなんですけどね、まず見てくださいよこれ。

 

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やっぱ破壊力高いよこれ……

えっと、ご理解いただけた方お帰りいただいて大丈夫です。ほんと。と言うかこれ見てご理解いただけた方はタイトルで多分察しているんですよね。

グラアヌいいよねうんうん。えっ逆? うん、いつもそうだよ

 

全人類は既にシムーンを視聴しているので今更なんですけど、とりあえずこの作品の設定から説明します。この世界では人が皆少女として生まれ、17歳になると性別を決め別の名を授かるという所謂イニシエーション的な要素の強い設定があります。

そして宗教儀式のための乗機であり、かつ戦時下では重要戦力となる機体のシムーンに乗れるのは性別を決めていない少女のみであるため、必然的に登場人物の大半が少女の表象で描かれます。そのため物語は主に少女同士の関係性が変化してゆく人間ドラマになります。更にシムーンには二人一組で搭乗し、搭乗前には必ず互いに口づけをしてから機体に口づけをするという設定まであります。

ここまで言っておいてアレなんですけど、別にこれ百合に頭が狂ってしまった人が考えた設定という訳ではなく、本作品の最大のテーマである「永遠の少女」というものを表現するための設定です。

このテーマを背負う主人公のアーエルとネヴィリルは、鮮烈で痛く、静止したまま輝かしく移ろう「少女」の時というものの永遠の概念になります。この作品の描く永遠の少女、光り輝く湖面のような美しさなんですよね。

 

今回掲題しているBLという言葉の通り、先ほどの画像の2人アヌビトゥフとグラギエフは作中時間軸では既に男性を選択しています。さっきの画像はアイキャッチで作中でほんの一瞬しか出てこないカットです。

しかし一方で少女であった時間が確かに存在しており、少女百合の海からBL陸地にそのまま乗り上げてしまってるんですよね。百合だといっても許してほしい。

百合だといっても許してほしいとは言いましたが、前述のとおり、本作品での「少女」というのは「幼年期」と読み替えてしまっても良い性質を持っています。そう考えると確実にBLなんですよね。もうどうしろってんだ。

ところで話変わるんですけど、男性同士で百合に該当する概念ないんですかね、性愛ではないよなって時に困る。この二人作中で性愛関係にあるって描写別に無いし。信愛隣人愛憧憬憎悪その他諸々含めて愛って呼んでしまえばBLで良いような気がしないでもないけど、何か違う気がする。

 

で、この作品の最も面白い点なんですが、ここまで百合に頭が狂った人が考えたような設定を全面的に押し出しておきながら、この世界のメジャーはヘテロ恋愛です。作中で性別を決定していない少女が、良い感じの男性に対し「私は女になるつもりだから大丈夫だよ」とか普通に言います。明確に結婚した描写があるのは男性と女性のみです。

そして所謂「男性中心社会」です。主人公の少女たちの近くに居る戦争を推進する人物、権力を行使する人物は殆ど男性ですし、敵国である礁国の兵士は男性で出てきます。少女の一人は「愛されることを知りたい」と言って女性を選択しますし、主人公の少女たちを男性が腕力で制し「シムーンが無ければただのか弱い少女だ」と言うシーンすらあります。

この作品の描く永遠の少女について、光り輝く湖面のような美しさと言いましたが、美しくある一方で「静止」しているんですよね。

そのような世界の中で、物語の開始から男性として登場するこの二人が持つのは戦いを続ける姿勢、強さとか、そういうものです。永遠の少女と対極に位置する存在と思っています。それらを持つため、二人が共に戦い進み続けるためには、二人とも「男性」を選択する必要があったと考えられます。「少女」を「幼年期」と読み替えても良い設定であるが故に、この世界での性別というのは「職業」「役割」と読み替えられるものになります。

今やったら色々と怒られそうな設定だなあこう読み取ってしまうとって感じですけど、この男性中心社会的な世界観であるがゆえに「男性」という役割を選択せざるを得なかっただけであると考えると、やっぱり百合なのでは、と言うよりもうどっちでも良いかと思ってしまいますね。性別が性別であることを放棄してるので。

個人的にはもっと色んな作品で、色々な手法で性別が性別であることを放棄してくれるのを期待しています。

 

それはそれとしてグラアヌのパル時代の話が一億回読みたいよ