あおくれ

ここが俺のチラシの裏

土古戦場について話すことが無いので最近見たアニメの感想を話す回

マジで土古戦場について何も話すことがない……つまり何の準備もしていないって事……GGST楽しいから仕方無くない……?

やったことと言えば……

・フロネ刀作った(レオナさん好きなのでクリ確編成して活躍させたい)

・寿司職人スキンを買った(今日からグランサイファーならぬ軍艦サイファーってワケ)

 

終わりじゃん?!?!?!?! まだ水古戦場前の方が準備らしいことしてたじゃん?!?!?!

GGST楽しいから仕方無くない……?

本当は土レナさん入れた杖パとか、考えたかったけど引けませんでしたね……ガチャは無情……

 

という訳で土古戦場について話す事が特に無いので水古戦場を回しながら見ていたアニメの感想をつらつら書こうと思います。勿論ネタバレしかないです。

水古戦場予選インターバル通してSK∞というアニメを見ていました。

このアニメ、個人的にはクロスアンジュと同じレベルで人にオススメ出来ると思っているアニメなのですが、自分には大変刺さる楽しいアニメだったので感想を残しておきたいという気持ちです。(クロスアンジュのことは滅茶苦茶好きですが人に全面的にオススメ出来るかと言われると微妙な顔をします。滅茶苦茶好きなんですが)

でもまあホビーアニメみたいなものだし後3クール位やってくれ。続編制作決定おめでとうございます。

元々見る切っ掛けになったのは、水古戦場始まるちょい前に自分が好きなエロゲの熱いレビューを書いていたTwitterオタクの人が「現実の沖縄でもあんな治安が悪い場所はねーよ」的な感想を呟いていた事でした。(いたいけな彼女はとても好きなエロゲだけどこれもやっぱりクロスアンジュ以上にオススメ出来ない作品ですね)

この情報だけで見に行ったので、主人公がスケボー始めた瞬間は「いや流石に沖縄でもスケボーくらいやるやろ? 純粋培養沖縄人だったのか?」って思ってしまったのですが、その次のシーンでアウトローな岩場とyouはshockな世紀末感溢れる大人がワラワラと出て来て「なるほどそういうアニメってワケ」と理解ってしまいました。方向性が。

その後は確かにちょっと奇抜なキャラクターはチラホラ登場しつつも、普通にスケボー楽しい!を全面に押し出したホビーアニメみたいなアニメだなーそこまで治安悪いかー? と思って見ていたのですが

後半の怒涛の暴力ラッシュで大爆笑していました。1話毎に暴力の密度が高まって行く。

ちょっとスケボーで危ないことし過ぎちゃったんだねレベルではないしせめてボードには乗ってくれ! と大爆笑したボードでレース相手の頭をぶん殴るシーンを皮切りに、特にスケボー関係無い日常シーンでの暴力的な奇行がやたらと増えて行くのがシュールで面白過ぎました。ミヤ君とか別のアニメのキャラクターだったらちょっと生意気な男子中学生(可愛い)(僕のTLにミヤ君好きそうなオタクいっぱい居る)なのにこのアニメの住人なせいで常識人ですみたいな顔しながら閉まりかけのエレベーターのドア抉じ開けてくるキャラクターになっちまってるよ。レキ君に至ってはただの街中に居るヤンキーから暴力を受けている。スケボー関係無く治安が悪くない? 暴力は癖なのかこのアニメの。

とまあ奇抜でフックの強いシーンを大量に交えつつも、最初から最後まで「楽しいことは最高」がテーマで、それを全力で訴えてくる大変良いアニメでした。

ゲーセンのようなアニメだなというのが観終わって一番に頭に浮かんだ感想です。自分が一応はゲーム好きの端くれなこともあってそういった言葉が出てきたのだと思います。

とは言えこのアニメで扱ってるスケボーは全く触れたことがないので、ゲーセンで自分がやってないゲームが物凄く大盛り上がりで馬鹿騒ぎしているのを眺めているような感覚でした。まるでガ○ダム勢を見ているような……あれもよく行ってたゲーセンの大会で傷害事件とかあったな……

ゲーセン、ひいてはゲームについては昨今のeスポーツだ何だで色々言われている中で、どこかで見た「ゲーセンは少年でいることが許される場所である」という考え方が自分にとってのゲーセンのイメージとしてしっくり来ています。

SK∞というアニメからは、ゲーセンと同じく「我々が好きなものに対して向き合っている時は永遠に少年でいて良いのである」という許しのようなメッセージを感じました。

 

 

少し作品内のキャラクターとストーリーについて具体的に触れつつ、上記のメッセージを勝手に受信した理由のようなものを書き残しておきます。

まず大前提として、このアニメでは主題のスケボー(及びスケボーレース)は基本的には"ただの趣味"でしかないです。スケボーが滅茶苦茶好きな奴らが集まってただただ楽しいから滑っている。実際のところはただそれだけです。

スポーツ選手のように周囲の期待を背負ってだとか、人生がこれにかかっているといったことは全く無いです。

寧ろスポーツのように高尚化されるのではなく、アニメの中では言ってしまえば社会的地位の低い遊びとして扱われます。

そんなスケボーに対して、主人公コンビの片割れのレキ君は、好きでやっている筈だったのに周囲の仲間と比較して上手く滑れるかを気にし始め、そもそも社会的に良い顔をされない趣味だと大人から諭され、スケボーを止めようかと考えるまでに至ります。

終盤、もう1人の主人公ランガ君と共に滑ることでその考えを改め、2人で辿り着いた結論が「スケボーは凄い楽しい! 楽しいから永遠に滑っていられる!」という内容です。

これ序盤にも同じような内容をレキ君が1人で言っているのですが、周囲との比較評価、そもそものスケボー自体の社会的な位置付けを理解した上での結論なため、全く含まれている内容が違っています。

純粋にスケボーが好きというだけで居られた少年ではもうないけれども、それでもスケボーで仲間と滑っている間は永遠に少年で居ようという誓いです。

一方のランガ君は、逆にスケボーに出会うまでは少年のように楽しむということを忘れてしまっていましたが、レキ君の誘いでスケボーを始めて少年である時間を取り戻します。

ランガ君としてはただ楽しいからで滑っていられる時間をもう一度得られた事が何よりも嬉しく、かけがえの無いものだと感じたため、永遠に少年で居ようという誓いを共にたてたのだと思います。

ここまでの描写だけですと、高校生の少年と青年の狭間に居る者の誓いであり、現実では存在し得ない一過性の尊いもののように描かれていると感じてしまうように見えるのですが、このアニメ普通にアホみたいにスケボー楽しんでる大人がいっぱい出てきます。と言うか主要人物の半数近くが社会人として過ごしつつもスケボーやってる時は少年みたいになってる大人です。

現実でも意外とそんなもので、大人として日々を過ごす一方で、好きなものに触れる時に子供の頃のような気持ちに戻って楽しんでる人は大勢います。

そういった大人が居るのだと描写することで、現実の似たような大人(少年)に対して「それで良いんだよ! 最高に楽しいよね!」と語り掛けてくるのがこのアニメが根底に持つメッセージなのだと思います。

 

アニメの最終話、"僕のイヴ"という「高尚なスケボー」を共に楽しんでくれる、つまりスケボーを上手く滑れる人物を求めていたアダムは、その「高尚なスケボー」は楽しいの? と永遠の少年に問われます。

旧約聖書のアダムとイヴ、知恵の実を食べて楽園を追放された人々、これは社会を知ることで子供では居られなくなってしまった大人の暗喩として意識して使われているのだと思います。

大人は時に、趣味にすら「高尚であること」を求めたりします。政治家一族の出であるアダムはまさにこの要求を突き付けられます。

低俗な趣味なのだからと止めるよう言われたスケボーに対して、どうしても止めたくない、これは高尚な趣味なのだから止める必要はないのであると言わんが為に、上手く滑れる者とだけ、高尚な趣味として続けたいと考えるようになってしまったように見えました。

高尚でなくても良いじゃないか、楽しいのだから。それが最終話で「高尚なスケボー」という幻覚に囚われていたアダムが救われるという展開を通して、この作品が出した答えだと思います。

そこが主題なので、別にアダムは汚職政治家してても逮捕されないのである。少年としてのアダムは救われた。そこでこの作品のメッセージは終わりなので。いや普通に元気に警察に圧力掛けててピンピンしてるので笑っちゃったんですけど。絶対最終話でアダムかスネークのどっちかは逮捕されると思ってたでしょ視聴者諸君は。そういやそういう治安のアニメだったよこれって思い出したよね。やっぱ治安悪いわー。