あおくれ

ここが俺のチラシの裏

僕は美少女を見ることが出来ない

 

このやうな事を漫然と呟いたのが数日前。

同意のふぁぼなのか、お前のクソツイを見てるぞふぁぼなのか解らぬ謎のふぁぼを少々いただいたものの、実際に自分がこの後美少女が出てくるアニメやら漫画やらを摂取したのかと言われると、そうではなかったりする。

と言うより、精神が美少女を求めている時こそ所謂美少女コンテンツを観ることが出来ない。

こんな呟きをしておいて、その実、女の子などちっとも好きではないのである、みたいな話であれば良かったのだが、普通に二次元の女の子は滅茶苦茶好きだ。

女の子は可愛い。この世の全ての女の子は可愛いし可愛いは正義なのだ。

金髪碧眼のお嬢様とか、ピンクの髪の明るく快活な少女とか、ミステリアスな僕っ娘、髪は短くても長くても好きだけれどもしかしたらドリルツインテールが多分一番好きかもしれないけど普通にふわふわショートも可愛いしなあとポニテも捨てがたい、肌は白くても可愛いし黄色も良いし褐色は黒髪に似合うよねえあと所謂青とか赤みたいな人外肌もとても魅力的、胸囲は薄ければ薄いほどヨシ脚も細いのがヨシ、くるくる表情が変わる子は見ていて口角が自然と上がるけれど表情の乏しい子がふとした時に見せる笑顔も筆舌尽くしがたい後は他にも……と好きそうな要素は山のように挙げられる。

でもそのどれも、上で言う「眺めたい美少女」なのかと言われると全くしっくり来ない。

 一体自分は何を求めていたのか。自分の頭の中にある眺めたいと願った美少女とは、存在しない美少女の概念そのものなのではないか。そう思い始めていたところ、懇意にしている方からWaifuLabsの話題があがった。

waifulabs.com

少し前にちょっと話題になっていた、AIで好みの女の子のバストアップ絵を作成するサイトだ。

元となる素体絵から、色、絵柄、髪型や表情のパターンが自動生成されるため、その中から好みのものを選んでゆくことで、理想の女の子の画像を作ることが出来る、という話だ。

自分の求めていた美少女とは何なのかという事を悶々と考えていたこともあり、これで「眺めたい美少女」像を具現化してみようかと考えた。

予想はしていたが、全く何も出来なかった。何百パターンと出てくる女の子の画像を眺めながら、どの子も好みであり好みでない、可愛いし可愛くない、と延々頭を抱える結果になった。

結局、自分の考える美少女とは、存在しない美少女なのである。

頭の中にのみ存在している美少女は存在していない故に完全であり、例え絵であっても受肉させてしまった瞬間に完全な存在に瑕が付いてしまう。

 受肉している存在はそれはそれとして、瑕こそが美しいのだがその話は脱線するので置いておく。

つまり絵の中の少女がどんなに美しく可愛くとも、この世に自分の目に見える形で受肉しているという瑕により、自分の頭の中にある美少女とは別のものになってしまうのだ。

よって僕はどんなに願っても美少女を見ることは出来ない。

 

とは言えこれはよく考えるとおかしな話で、まず僕は美少女という概念を何かしら受肉した存在を通して初めて知った筈だ。

それこそアニメ、漫画、ドラマ、メディアなどで二次元三次元問わず何かしらの美少女というものを摂取してきた故に自分の頭の中に美少女というものが出来上がっていった筈である。

なのにいつの間にか自分の中で、美少女は存在しないものになってしまっているのだ。

もしかすると本当にそれこそ、まず初めに「善きもの」という概念が存在し、僕はこれまで生きてくる中で、この世に受肉している少女達を通してその概念に触れてきていたのではないだろうか。

そうしていくうちに、「善きもの」に対して「美少女」という呼称を僕が勝手に使い始めていただけなのかもしれない。

となると、僕の考える美少女は、少女の形を取っている必要すら実は無い。

それこそ自らの考えうる善きもの、飼っている犬でも良いし、北の水族館で見たアザラシでも研究室で見たカイコガでも、幼き日に見た日没近い高架からの景色も早朝の冷え切った空気も、ドビュッシーもルイ アームストロングも、全てが僕の美少女である。

事実、冒頭のツイートをした後に何をしたかラムレーズンアイスを食べながらウイスキーを飲んでいた。これもまた美少女なのだ。